多様性を認める?
ワークショップを行う立場であれ、または参加する立場であれ、自分以外の人との関わりにおいて自分がより柔軟な姿勢でいることは結果利益を得る最も簡単な方法であると僕は考える。
利益を幸せと書き換えてもいいかもしれない。それはひとりの幸せのみに留まらず、相手やグループ、または場全体のものとなる、とも思っている。ワークショップを行って、参加して、幸せな気分になれたら最高じゃないですか。僕の理想なので、他に違った理想を掲げていいんだと思うんですよ。そしてそれを発することも素晴らしい。
多様性を認めるという表現が多いように感じているけれど、上からな感じがして僕としてはしっくりこない。受け入れるというのも微妙に違って、「多様性を特別視しない、なぜなら当たり前のことだから」が僕的な表現方法としては一番しっくりくる。そんな多様性が当たり前の場で、どれだけ自分のことを客観的に見られるか、見えているかが肝なんじゃないかと思う。
自分を客観的に見る方法
自分のことを客観視できる、すなわち自分を含めたその場を俯瞰して見ることができているか。俯瞰の言葉の通り、高いところから自分を眺めることができているかということ。ちょっと離れたところから見ると、冷静に見えるじゃないですか。あんな感じ。渦巻きの中で巻き込まれてると何がなんだか分からなくなったりするけれど、離れたところから眺めたら渦を巻いている様子が分かる。渦中ってやつです。ではその自分を客観視するとはどういうことなのか。
逆説的だけど、自分のことを知っていること、理解していることが客観的にみることができることだと思う。自分の主観を分かっていること。自分だけの考えや感じ方の癖を、自分が知っていること。なぜなら、自分を知らずして相手との違いを知ることはできないから。なぜあの人と僕は意見が、考え方が異なるのか。僕は、僕だから。
そして相手を僕とは違うことを当たり前のこととして接する。あなたは、あなただから。本来そこには何の問題もないはず。あなたと僕は違うということを興味深く新鮮な気持ちで感じることができれば、多様性を面白いと捉えることもできるんじゃないだろうか。